通信中です...しばらくお待ち下さい
福岡市西区周船寺1-8-6 
周船寺幼稚園は、神様のお守りの中で、皆様に支えられて、今日まで歩んで来ることができました。
今後も、より質の高い幼児教育を目指し、邁進して参りたいと思います。
ここでは、50周年を迎えましたときに、発刊いたしました記念誌より歩みを振り返りたいと思います。

     
 
~ 回顧と展望 ~
周船寺幼稚園のこれまで、そして、これから


周船寺幼稚園は周船寺教会から生まれました。現在、周船寺幼稚園と周船寺第二幼稚園の設置者は学校法人信愛学園となっていますが、いずれも元々、周船寺教会が生み出した幼稚園です。両幼稚園は、教会の営み、奉仕の業として始められ、今もなお、そのような教会の業として営まれていることは、決して忘れてはならないことです。ですから、周船寺幼稚園が生まれた経緯を知るには、まず、周船寺教会の生まれた経緯を知る必要があります。

周船寺教会の誕生日とも言える第一回の礼拝が持たれましたのは、1948年(昭和23年)3月28日、復活祭(イースター)の日でした。
羽犬塚教会(筑後市)の信徒であった矢持智氏が、戦後、朝鮮から引き揚げて住んでおられた夫人の矢持トモエ氏のご実家であった千里の吉安平太郎氏宅に、当時羽犬塚教会の牧師を退いて
郷里の草場において農業をしながら伝道に励んでおられた恩師、楢崎武三郎牧師をお呼びして
記念すべき礼拝が持たれたのでした。その時、14名の兄弟姉妹が集ったといいます。
この日が周船寺教会の創立記念日となったのでした。クリスチャンにとって礼拝は生命の源です。
その後、日曜毎に礼拝が続けられました。礼拝の場所は、矢持智氏宅から周船寺小学校前の冨永篤四郎氏宅に移されます。その集会はやがて教会となり、同じ年の11月6日、日本キリスト教団周船寺教会として設立が承認され、楢崎先生を主任担任牧師として迎えたのでした。しかし、まだ教会堂を持たない教会であり、礼拝の場所は、その後周船寺西の水野歯科医院に移され、再び冨永氏宅に移されます。
そういう中、楢崎先生は、周船寺の地において本格的に伝道するためには、固定した拠点が必要だと考えられて、ご自宅を草場から千里に移され、そこを集会所とされたのでした。
1950年(昭和25年)10月25日のことです。

しかし、周船寺の街から離れた千里ではなく、街の中心地において集会所を持ち、会堂を与えられたいとの教会員の思いは強く、1953年(昭和28年)5月、周船寺商工会が管理していた元福岡銀行周船寺支店の建物を是非教会に、と当時商工会の会長をしておられた塩喜金物店の久保金山氏に嘆願し、金40万にて譲っていただいたのでした。その金額の内、36万は日本キリスト教団を介してアメリカのミッションから援助されたものです。
教会員は、周船寺の街の中央に会堂を、という念願がかなえられ、大いに喜び、感謝した、といいます。
その際、周船寺商工会から譲り受ける条件として求められたのが、幼稚園を開設して幼児教育を行う、ということだったのでした。
その時、教会は伝道一本で歩んでいくべきだと考えておられた楢崎先生を説き伏せ、幼児教育を始められたのが、その夫人である楢崎ます江先生です。
ます江先生は、神学校を出られた婦人伝道師でしたが、教会幼稚園で働かれた経験もあり、幼児教育について深く学んでおられましたので、幼児教育の大切さを認識しておられ、教会の業として幼児教育を開始されたのでした。
このようにして1953年(昭和28年)9月、周船寺愛児園が発足し、30名の園児たちが入園してきました。この周船寺愛児園が周船寺幼稚園の前身です。
翌年1954年(昭和29年)9月7日、福岡県知事より設置許可があり、正式に宗教法人日本キリスト教団周船寺教会の公益事業として『周船寺幼稚園』が創設されました。
初代園長は楢崎武三郎牧師、主任は楢崎ます江先生でした。

創設されたばかりの周船寺幼稚園がどのような幼児教育をしていたのか、それを記録する文書資料は残されていません。それを知るには、ただ当時を知る方々に尋ねるしかないのですが、それらの話を総合し、また、「教育は人なり」というように園長であった楢崎武三郎氏、主任であった楢崎ます江先生の残された文章、及び伝聞した話より伺われる人柄から推測すると、以下のようなことが言えるだろうと思います。
    
それは、まずは何より、キリスト教を土台とする教育であったということです。キリスト教を土台とする教育とはいかなるものでしょうか。
それは、何より神の愛に基づく教育であるといえます。神の深き愛は、いかなる人にも注がれている、従って、その豊かなる神の愛を受けて、その愛を一人ひとりの幼児たちに注ぐ教育であると言えます。
初代の園長であった楢崎武三郎先生は、いかなる人であったのでしょうか。
自ら「門人」と称された先生の教え子であった昭和大学の元教授、井上清恒氏はこう書いておられます。
     
  『一見して先生は朴訥、平凡、謙遜で風采もあがらなかった。
  しかし、いつもその眼は深く澄んでいた。先生は悲しむ人と共に悲しみ、
  苦しむ人と共に苦しみ、喜ぶ人と共に喜んだ。人々の心の奥にふれ、
  共感し、同情し、慟哭した。先生は、全く“私”がなく、
  ただ神の声を聞き、神に代わって働く人であった。
  先生は財を求めず、地位を求めず、我を捨ててキリストの十字架を背負い、
  人々を愛し、人々を愛することによってキリストの愛を伝えた』
  (『牧者楢崎武三郎先生―遺稿と追憶ー』1981年刊行、周船寺教会)
 

また、先生に出会って信仰を与えられ、その後、先生と一緒になって周船寺教会を支えてこられた矢持智氏はこう書いておられます。

『(先生が牧しておられた)その頃(1932年:昭和7年ごろ)の羽犬塚教会は、牧師を家長として信徒はその子どもの如く、信徒間の交わりは本当の兄弟姉妹の如く、急病人が出れば夜を徹して交代で看護し、心配事で悩む人あれば共に祈り、慰め、励ますといったことが珍しくなく、全信徒がひとつの家族の如き観を呈していました。それは、キリストを頭とする、キリスト教の教えを忠実に守られ模範を示して指導される楢崎先生によって、そのような教会が形成されていたと思います。
・・・ひとりの信仰の問題に限らず、悩み事が起これば牧師館にかけこみ先生に訴えると、先生は熱誠込めて問題の解決に向かって、ともに神に祈って下さいました。わたしの友人が家庭の悩みで懊悩し、日常の生活に堪えられなくなって楢崎先生に手紙を出したところ、先生は大いに同情され、その友人に手紙を出されました。
その手紙に先生は、「あなたが堪えられぬほどの悩みに遭われていることに心から同情します。若し身体がどうしても堪えられぬならば暫く家に来て休養なさい。牧師館の玄関はあなたがいつ来てもよいように大きく開かれています」と言った手紙を下さったそうで、それを受け取った友人は、とても感謝し、先生の愛に大いに励まされ、今でもその先生の愛の手紙を家宝の如く大事に持っているとのことです。
先生は、人生の悩み、悲しみを知りつくされ真の愛の人でありました。』
(同上『遺稿集』より)

このように楢崎先生は、同情心溢れる愛の人であったと言います。
その先生の愛は、園児一人ひとりに注がれ、園全体に溢れていたのではないでしょうか。
主任をしておられた楢崎ます江先生はどうだったでしょうか。何人かの卒園生のお母さま方や教職員の方々から聞いたお話によると、実にてきぱきと幼稚園の多くの仕事をこなしておられたといいます。保育はもちろん、会計、事務処理、給食(後に行われるようになったそうですが、内容はパンにジャムをつけたものと、脱脂粉乳を溶かしたもの、しかもそのジャムは、教会堂の脇にあったイチジクの実を使ったものであったといいます。)、保護者との対応など適切に切り盛りしておられたようです。
また、ます江先生は、かつて教会幼稚園において幼児教育に携わっておられた経験があり、幼児教育に関して実に熱心に勉強しておられたといいます。周船寺幼稚園の園長が楢崎武三郎先生から今村博至先生に交替するまでの期間、いわば基礎期、第一期ともいえる期間において幼児教育は、ます江先生の指導の元に営まれて来ました。ですから、この期間の幼稚園教育は、ます江先生のお考えや人柄に負う所が大きかったと言えるでしょう。
あるお母様は、こういう話をしてくださいました。
そのお子様は大変、おとなしく、引っ込み思案の性格であったらしい。ます江先生は、そのお子様を何とかしなければと思われたらしく、劇の発表会の時に主役に抜擢された。そして、練習を重ねて、本番ではうまくその大役を果たすことができ、そのお子様は自信をもつことが出来たと言います。その小さなエピソードから、先生がいかに一人ひとりの園児たちに目を留め、心を配り、教育しておられたかが伺えます。そのように、武三郎先生の愛とます江先生の行き届いた心配りによって、園児たちは安心して伸び伸びと成長していったと思われます。
しかし、他方、そのような愛を注ぎながらも、厳しい面もあったといいます。
特に礼拝を重視し、日曜日を保育日(月曜日がお休み)として礼拝を守っていたといいます。礼拝においては、神の前に立つことの畏れをもって神を敬い、また、聖書の教えをもって清く、正しく、思いやりを持って生きることを教えられたようです。礼拝堂に入るときには、心を静め、胸に両手を置いて厳粛な思いで入場していったと言いますし、武三郎先生の神様のお話を始終、厳粛に聴くようにしつけられていたと言います。そのお話は、特に神様の前に正しく生きること、他者に対して愛と思いやりをもって生きることが強調されたようです。
正しく生きるということに関して、あるお母様から次のようなお話を聞きました。その方の女のお子様が、ある時、泣きながら帰ってきた。どうしたのと聞くと、自分は幼稚園で早く家に帰りたいと思って「具合が悪い」と先生にうそを言って帰ってきた。だから、イエス様にあやまらないといけない、「イエス様、うそをついてごめんなさい」、そう言って泣いて帰ってきたというのです。そのような正しさの感覚、イエス様に謝らなければならないという謝罪の気持ち、その背後には、聖書を通して「正しく生きる」ことが常に語られ、教えられていたことが伺えます。
このように、「愛と正しさ」を柱とするキリスト教の教育こそ、周船寺幼稚園の基礎となり土台となったものだと言えるのではないでしょうか。
保育内容に関しては、当時は、今とは異なり、貧しい時代でもあり、施設や設備、備品なども十分ではなかったようですが、ます江先生が以前、幼児教育に携わっておられ、また、研究熱心であったこともあって、当時としては進歩的な教育がなされており、評価も高かったといいます。絵画や工作のほかに、音楽教育、リトミックなども取り入れていたと言いますし、まだ自動車も少なく自然も豊かに残されていたこともあり、よく園外に出て野外保育をしたようです。野外に出て散歩をしながら自然観察をし、自然への興味・関心を持ったり、自然との触れ合いの中で豊かな感性を養ったり、自然の中で身体を動かして身体を丈夫にしたりと、それらが意図されてなされていたようです。
また、生活の基本習慣を身につけることにも力を入れていたようです。排泄、食事、挨拶、整理整頓など、健康的で自立した人間として基本となるものを身につけることが意識されて教育されていたのでした。

その後、周船寺幼稚園は、近隣に他の幼稚園がなかったことや、また、その教育が評価されていたこともあって、地元の周船寺だけではなく、怡土、徳永、女原、太郎丸、元岡、北原など周辺地域から通園する園児も増えてきました。
まだ今日のように幼稚園の数は多くはなく、農家や商店をはじめとする家事と家業のために多忙なお母さんたちにとって、貴重な存在であったといいます。時代は、戦後の貧しい時代から高度成長の時代へと移っていきました。

そういう中、教会の方は、1963年(昭和38年)4月、初代牧師であった楢崎武三郎先生から2代目の牧師である今村博至先生へとバトンタッチされました。幼稚園の方は、1966年に園長が楢崎先生から今村先生へと代わり、また、主任も楢崎ます江先生から今村喜代子先生へと代わりました。

今村博至先生は、まず、キリスト教が地域に根を張って行くためには、教会堂と幼稚園園舎の建設が必要だと考えられ、着々と実行されていきました。
その時の先生の思いと着手された事業については、自らこう書かれています。
       
『1963年4月に初代牧師楢崎武三郎先生とます江先生にお会いしたとき、わたしはお二人から二つの事業を委託されたと思った。それが神の御心ならば実現すると受け止めた。
牧師夫妻は信徒の協力を支えに教会と幼稚園の基本財産を取得するために努力してくださった。わたしは、地域の人たちが、より多く教会に、幼稚園に集るために将来、教会堂建築、幼稚園園舎の建築が必要だと考えた。この事業は、キリスト教が地域に根をはり、枝を広げるために必要な、わたしたち、次の世代の課題だと思う。
初めに幼稚園を通して福音の種を蒔こう、重荷としか考えられなかった幼稚園を逆に、
キリストから教会に与えられた伝道の賜物として活用しようと考えが変わった。
生活の苦労も主にもそのために当然のことと思えるようになった。』

事業開始
   1971年(昭和46年)       幼稚園園舎を新築。
                                   特に池田英二郎兄の労力、信徒の方の理解と支えにより完成。

   1976年(昭和51年)       会堂隣の園舎とホールを増改築。
                                   現在(1988年)の集会室、多目的使用のホールとなり、
                                   園児専用の通園路をレンガ作りの倉庫を壊して開設した。

   1977年(昭和52年)       会堂北側に二階建の倉庫と車庫を新築。

   1979年(昭和54年)       幼稚園を学校法人に変更する。
                                   信愛学園と称し、同年、徳永1124番地に園地990坪を購入する。

   1981年(昭和56年)       新園地に園舎を新築。
                                   周船寺第二幼稚園を設置する。

   1982年(昭和57年)       周船寺幼稚園の園舎全体補修工事。

  

幼稚園事業は、1963年(昭和38年)の教職員は3名、園児数55名である。
1987年(昭和62年)の教職員は7名、臨時補助員6名、園児数は117名、日毎の幼児教育と共に保護者を対象に教育講演会、お母さんの勉強会、祖父母招待感謝会、「花の日」の地域公共施設・病院の慰問、バザー、文化祭、友愛バザー、小学校の夏季学校を行い、地域の教育文化活動に貢献している。

このように守りから打って出る積極姿勢に変わり、教会の名に恥じない良心的な教育を行うため、妻を応援し、協力し、人材を集め、園舎の新築、改築をした。園児と保護者、また、地域を覚えて教育活動に力を注いできた。その結果、教会の幼稚園事業が町の人々に注目され、幼稚園が地域に根を下ろし、園児も増えてきた。福音の収穫よりも種を蒔く事に心がけてきた。

特に幼稚園事業に中心となって尽力してくださった方々の名を記しておきたい。
各年度の教会役員。理事会の各理事、監事。吉田茂一、池田英二郎、矢持智。教職員として、今村喜代子、日高文子、中川佐知子、藤野一枝、徳永るり子、高山千恵、上野直美、市原光子、その他、槻木猪之輔、森友淳一、増本信子、大庭ミツエ、永田静江、杉内博生、吉富慶子の諸兄姉。』 
(『周船寺教会40年の軌跡-教会創立40周年記念』1988年刊行、周船寺教会)

このように、今村博至先生の時代は、園舎を初めとする施設・設備が整えられると同時に、地域における教育文化の貢献ということが意識して行われ、結果として園児数も増え、知壱岐において教会と幼稚園が一層、根を下ろしていったといえます。

保育内容については、1964年(昭和39年)に文部省から出された「幼稚園教育要領」を土台としながら計画され、実施されていきましたが、主任であった今村喜代子先生を中心に、年々検討を加えながら改善されていきました。その「幼稚園教育要領」によると、幼稚園において教育していく場合、6つの領域(健康、社会、自然、言語、音楽リズム、絵画制作)に沿って行うようになっていますが、その方針に沿いながらも、周船寺幼稚園独自の教育が行われていきました。

特に、宗教教育を柱とした心を育てる教育、絵画・工作・音楽などによって感受性を豊かに養う教育、野外保育や体操・遊びを通して身体を丈夫に育てる教育が心掛けられてきました。
今村喜代子先生によると、特に3つの柱を中心に教育することを意識して、教育が行われてきたといいます。
その3つの柱とは、心を育てるための、キリスト教に基づく宗教教育。絵画などを通して感受性や表現力などを養う表現教育。そして、丈夫な身体を育て、また、忍耐力や集中力を養い、達成感を味わうことによって自信を持たせる体育教育。
この3つの柱を中心として幼児教育が計画されていったといいます。

後に、1989年(平成元年)にその「幼稚園教育要領」が改訂され、「生きる力の基礎を育成する」ことが目標とされ、幼児の主体性を重んじ、自発的な活動としての遊びを中心として総合的に教育を行うことが提唱されました。
しかしながら、自由遊びを通しての教育にも難しさがあります。それは、教師が一人ひとりの子ども達を十分に把握できるか、あるいは、子ども達を十分に把握しながら、日々よき方向に促すことができるか、という点です。そのような難しさをどのように克服していくか、という難問にぶつかりながら、時間毎に絵画製作的なもの、音楽的なもの、体育的なものなど、教育内容を計画して実施していく「設定保育」を柱としながら、自由遊びを中心とした「自由保育」を取り入れる教育形態へと整えられていったのでした。

このように時代の変化の中、幼稚園に求められるものも変化していきました。
そして、周船寺幼稚園においても、時代の変化と共に常に教育内容を見直し、子ども達にとって最も必要な教育とは何かが模索され、変化してきた部分もあります。
しかし他方では、創立以来、キリスト教を基盤としながら人生のよき土台となる幼児教育を目指して、変わることなく努力してきました。
これが、今日の幼稚園につながっていると言えるでしょう。

1998年(平成10年)4月に周船寺教会の会堂と周船寺幼稚園の園舎が一新しました。
それまでの思い出が詰まった会堂と、園舎は取り壊され、幼稚園、教会堂、牧師館が一つとなった4階建の複合建築物が完成しました。幼稚園は1・2階、教会は3階、牧師館は4階という建物です。そして、それまで周船寺幼稚園で年少クラス、周船寺第二幼稚園で年中・年長クラスの教育を営むという形態から、それぞれ独立した独自の教育を営むという形態になりました。

現在、周船寺幼稚園と周船寺第二幼稚園では、それぞれ独自の教育が行われています。
周船寺幼稚園では、異年齢の子ども達によるクラス編成「縦割りクラス」により、また、子ども達の自主性を重んじた「自由遊び」を中心とした教育内容によって幼児教育が行われています。「縦割りクラス」は、少子化で兄弟姉妹の数が少なくなった昨今、異年齢の交流によって社会性や自己表現を育てる必要を感じて生まれたものです。 
周船寺第二幼稚園では、従来の年齢別の「横割り」によるクラス編成で、教育内容は「設定保育」を土台に据えて行っています。
しかし、「縦割り」と「横割り」のクラス編成にしても、また、「自由遊び」を中心とした教育と「設定保育」による教育も、それぞれ一長一短あります。
現在では、2つの幼稚園では、それぞれの特色を生かしながら、また、それぞれのよき要素を柔軟に取り入れながら実際の教育が行われています。

―人格の土台作りとしてのキリスト教教育―

このように周船寺幼稚園では、これまで50年に渡り、多くの方々の絶え間無いご努力とご尽力、 お祈りにより、幼児教育が行われてきました。この50年間、一貫しているのは、この幼児教育が 周船寺教会の奉仕の業として行われてきたこと、また、キリスト教に基づいて一人ひとりの子ども達を 育ててきたということです。

この間、時代は大きく変わり、子ども達を取り巻く環境も大きく変わりました。その時代の変化の中で、あるいは、子ども達を取り巻く変化の中で、あるいは、子ども達自信が変化する中で、変えていかなければならないもの、あるいは、改善していかなければならないものがあります。
しかし、同時に変わらないもの、変えてはならないものもあります。人間として身につけていかなければならないもの、子どもから大人へと成長していく過程、そして、周船寺幼稚園が創立以来、大事にしてきたキリスト教教育、これはこれからも変えてはならないものですし、むしろ、これからの時代において本当の意味でのキリスト教教育は、一層、重要な意味を持ってくると確信しています。
それでは、周船寺幼稚園が大事にしてきたキリスト教教育、あるいは、これから大事にしていかなければならないキリスト教教育とはどういうものでしょうか。

(1)愛による教育

    それは、第一に、愛による教育ということです。
キリスト教では、この世に生きる全ての人が神様に創られた大切な存在であり、作品であると考えます。そして、神様に深く愛された神様の貴い愛の対象であり、神の子と考えます。
だから、わたしたち幼児教育に携わる者は、わたしたちが関わる子ども達がご両親に愛された大事な子ども達であると同時に、神様に愛されたかけがえのない貴い存在であると受け止めます。そして、わたしたちは、わたしたちに注がれた神様の深い愛によって子ども達の一人ひとりを受け入れ、愛します。そのようにキリスト教の教育の最も根源的な意味は、神様の愛に基づいて行われる教育であるということです。

(2)人格の土台作り

I)基本的信頼感
   基本的信頼感は、子どもが望むことを満たしてあげることによって養われます。特に、何も出来ない乳幼児期においては、乳幼児が要求することを親が満たしてあげることによって自分が大事にされていることを実感し、そのことを通して他者への信頼感と自分自身への信頼感、自信が養われていきます。
この基本的な信頼感が、その後、自律心、自主性、社会性を築いていく上での根源、土台となるものだといえます。
 (以下の事も含め、詳細は佐々木正美著『子どもへのまなざし』を参照。福音館書店、1998年刊

II)自律心
 次の自律心は、2~3歳頃から社会生活を営んでいく上で必要な習慣やマナーを身につけていく「しつけ」の時期に養われていきます。
その「しつけ」とは、まず、教えること、そして、待つことによって身についていきます。教えた後は本人に任せ、それが出来たときには一緒に喜ぶ。そのようにして自律心は育っていきます。親が命令したり、無理に強制させてやらせても、それは他律であって、自律ではありません。
「教えて待つ、そして、共に喜ぶ」ことによって自律心は養われていくといえます。

III)自主性
 次の自主性とは、子どもの世界が徐々に広がっていく中で、自ら目標を見つけ、自分の計画を持って自ら行動していく力であるといえます。子ども達はいろいろなことに興味と関心を持ち始めます。そして、何か面白いことがあれば、自ら働きかけ、行動を起こします。
そのようにして子ども達はいろいろなことに挑戦し、自分の力を試すことを学びます。また、いろいろな物を作る喜びを知り、創造性を養っていきます。また、成功と失敗の体験を繰り返す中で、喜びと悲しみなどの感情を学び、再び挑戦する心や成功するためには努力すること、我慢することが必要だということを学びます。
自主性は、子ども達の中にあるはかりしれない能力、可能性を引き出し、発達させます。子ども達を見守る親や教師は、この何にでもチャレンジする自主性が育っていくように常に励まし、共に喜び、共に悲しんであげることが必要です。

IV)社会性
   最後の社会性は、人と人とが共に生きていく上で、身につけておかなければならない大事なものです。人と人とがどのように関わりながら一緒に生きていけるのか、自分の主張と他人の主張とをどう折り合わせて生きていくのか、あるいは、どのようにして他者と力を合わせて生きていくのかというように、他者と共に生きていくための土台となる力を養っておく必要があります。
人間は本来、社会的な存在であり、他者と共に、また、社会の中で生きていく存在です。ですから、社会性とは、単に他者とどう関わるかというノウハウ、方法、技術を学ぶために必要だというよりも、人が人として生きていくために養っておかなければならない大切な、あるいは、必要な、あるいは根源的なものです。その社会性は、幼児の場合、遊びの中で育まれていきます。年齢が高じるにつれ、遊び仲間も増え、遊ぶ内容も深まっていきます。
そういう遊びの中で、友達と一緒に遊ぶことが面白い、楽しい、と思える心が育まれ、それが社会性を育てていく上での土台となるものです。

V)キリスト教という土台
    以上、人が生きていく上で、特にその土台となるものは、基本的信頼、自律心、自主性、社会性といったものであると言えますが、それらのものは、キリスト教教育においても大事に考え、課題としてきたものであるといえます。言うまでもなく、キリスト教では神の愛を最も大事なものとして教えます。その神の愛に応えて「神を愛し、人を愛すること」を教えます。人間にとって愛こそ根源的なものであることをキリスト教は教えてきました。
従って、愛によって育まれる基本的信頼を人間にとって最も根源的な土台と考える考え方は、キリスト教の教えと合致するといえます。
周船寺幼稚園は、神の愛を土台とすることによって幼児教育を営んできました。それは、愛こそ生きていく上でも土台となり、根源となるものであることを教えられていたからです。わたしたちは、ますます愛によって行う教育の重要性を感じるのです。
また、自律性ということに関しても、キリスト教では自律すること、独立すること、自らを律しながら生きていくべきことを強調してきました。それは、人は皆、平等であるからです。
ですから、人間は、神に従うことはあっても、人に支配されたり、人を支配することがあってはなりません。人は互いに支配―被支配の関係、従属―被従属といった関係ではなく、独立した人格同士として対等に、また、互いの人格を認め合うことによって真の人間関係、人格関係を築いていくべきものです。ですから、キリスト教の幼児教育においても一人ひとりが神から創られた独自の存在として独立し、自立的に生きていくことを目指すのです。
また、自主性ということについても、一人ひとりが自らの意思を持った独自の存在として、自主的・主体的、また、人生の開拓者として創造的に生きていくことが求められています。その意味で自主性とは、教育する上で育まなければならない極めて大事なものなのです。

さらに、社会性に関しても、聖書には、「人は男と女に創られた」、
「人が人が一人で生きていくのはよくない」とあるように、人は本来、人間関係の中で生きていく社会的な存在であることが書かれています。
また、「神を愛すること」と並んで「隣人を愛すべきこと」が強調され、「父と母とを敬え」という戒めが与えられているように、聖書は、人は愛をもって人と関わるべきこと、自分を育んでくれた存在、関わっていただいた者への敬意と信頼、愛を持って対すべきことを教えています。
さらに、聖書は、「神の国」への待望と建設を語り、理想とする社会、共同体の積極的な建設、創造を呼びかけています。そのように、人間が多くの人との関係の中で、その関係を大事にしながら、理想社会を築いていく存在であることを教えています。
従って、社会性はキリスト教教育においても、大変大事な課題であると言えるのです。特に昨今、人間関係を築くことの苦手な青少年の問題が大きな問題になってきています。生きる上での土台を築いていくべき幼児教育においては、今後、子ども達の社会性をどう育むかという課題は最も重要な課題となっていくことでしょう。

以上のように、人生の土台作りを課題とする幼児幼児教育において、キリスト教教育において取り組んでいく事の意義を一層深く自覚し、よりよいものへと高めていかなければなりません。

以上のように、わたしたち周船寺幼稚園、周船寺第二幼稚園が目指す幼児教育は、真の意味でのキリスト教教育であることをご理解いただきたいと思います。
これから、ますます厳しい時代を迎えることでしょう。その厳しい時代を生き抜く、たくましい人間を育てることが、わたしたちに求められています。
その一端を担うこと、それが周船寺幼稚園、第二幼稚園の使命だと考えます。
わたしたちは、その使命を真のキリスト教教育によって果たしていきたい、そう考えています。
これまで、周船寺幼稚園は、多くの方々の祈りと努力によって50年間、歩んで来ることができました。その背後に見えざる手、神の導きがあったことを忘れてはなりません。
これから、次の50年に向かって歩んでいきます。どうか、これからも皆様の変わらないご支援とお祈りをなお一層、お願い申し上げるものでございます。